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ニュース (3月13日)

硫黄島からの便り

硫黄島で45日間を過ごし、その当時のことを人々に語り続ける元海兵隊員のショットさん
硫黄島で45日間を過ごし、その当時のことを人々に語り続ける元海兵隊員のショットさん
ウイリアム・ショットさんは高校を中退し、海兵隊に志願しました。

海兵隊に入隊したショットさんは空挺部隊に配属され、6週間の訓練で13回のジャンプを体験しました。

基礎訓練を終えると、ショットさんはトラックドライバーとして任命され、配属された部隊の移動とともに前線へと送り込まれました。

ショットさんは、「硫黄島の第6波にいました。私の任務はトラックを運転し、隊員たちを前線の必要とされている所定の場所に運ぶことでした」と述べています。

ショットさんはジョー・ローゼンタールの写真で有名になった、星条旗が硫黄島のすり鉢山に掲げられる瞬間を目にしました。

ショットさんは、「星条旗が揚がった時、私は塹壕の中にいました。その日は死傷者の搬送を担当していて、前線に行く必要がありませんでした。

そのとき突然、港に停泊している船から汽笛が聞こえたんです。人々は『すり鉢山を見ろ!』と叫んでいました。

私が山を見上げると同時に、その星条旗は倒れました。

その後、別の星条旗が再び掲げられました。すり鉢山を占領し、星条旗を掲げることがその作戦の最大の成功でした。

私は硫黄島に45日間いました。その間、私は負傷しませんでしたが、3つの事を心がけていました。一生懸命祈ること、穴を深く掘ること、そして早く走ることでした」と述べました。

硫黄島での戦いの後、ショットさんは部隊再編のためにハワイの部隊に戻りました。

ショットさんは、「私たちは日本に向かいました。私たちが日本から1日か2日までにせまった時、休戦に署名されました。そこで私たちは占領軍として日本に足を踏み入れました。

私の任務は各地を回り軍事装備品をトラックに積み込むことでした。拳銃からライフル、手りゅう弾や爆弾などでトラックを満たしました。

お土産になっていたのかもしれませんが、その当時の私にはジャンクでしかありませんでした。

今考えると車いっぱい分くらい取って置くべきでした」と述べました。

ショットさんは海兵隊員として1943年から1947年まで仕え、結婚と同時に除隊しました。

それからショットさんは硫黄島での犠牲について多くの講演会で述べてきました。

ショットさんは、「硫黄島で戦っている時、私たちはなぜ戦っているのだろうと思うようになりました。

そこは粗末な小さな火山島です。

その後、ダラスでの集まりがあった時、あるテーブルを通り過ぎると、一人の男性が私の腕をつかみ、『あなたは私の命を救った』と言いました。

そして彼は、『私はB29を硫黄島に最初に上陸させた』と続けて話しました。

その時初めて、私たちが硫黄島で何をしたのかを理解しました。

硫黄島を占領することで、失ったよりも多くの命を救い、多くの飛行機や機器を救ったのです。

島を占領することは大戦中の大きな勝利でした」と述べました。

そして今日もショットさんは硫黄島での犠牲について語りかけています。

その他のリンク
気象庁による台風最新情報 台風最新情報
米軍が使用する台風コンディションコード TCCOR
在日米海兵隊によるトモダチ作戦 トモダチ作戦
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