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ニュース (5月14日)

沖縄北部の長寿と知恵

大宜味村に住む秀子おばーは、今日も元気に野良仕事にゲートボールにと忙しい一日を送っています
大宜味村に住む秀子おばーは、今日も元気に野良仕事にゲートボールにと忙しい一日を送っています
【沖縄県大宜味村】国道58号線を北に向かってドライブすると、小さな集落が見えてきます。

その集落は東シナ海に面し、潮の香りが一面に漂い、緑豊かな丘が地平線を覆っています。

どこを見回しても青緑色の海と明るい緑のジャングルが目に入ってきます。

ここは人口3232人が住む大宜味という村です。

ここに住む約1000人が65歳以上の高齢住人で、その中の一人が今年85歳を迎えた山城秀子さんです。

そして彼女の家族や友人は彼女のことを親しみを込めて”おばー”と呼びます。

大宜味村の多くの住人と同様に、おばーはいつも元気で野良仕事に勤しみ、家族や友人を訪ねて歩き、ゲートボールに身を投じています。

彼女は数多くの困難を乗り越えてきましたが、柔軟性に富み、楽観的です。

おばーは、「子や孫やひ孫たちが健康で幸せなであることが一番さー」と話しています。

小さな男の子が畳に座っている彼女の部屋に入ってくると、彼女は目を輝かせ笑顔でどうしたのと尋ねます。小さな男の子はくすくす笑い、台所へ走ります。

彼女の家庭は笑い声と子どもの遊ぶ音で満ち溢れています。台所ではおばーの子どもたちが料理をしながら、その日一日のことを話しています。

クレッグ・ウィルコックス博士は長年にわたって沖縄の長寿について研究してきました。

彼と他の研究者たちは、沖縄の長寿は海草や豆腐や生野菜をたっぷり含む島の食事が重要な役割を果たしている結論づけています。

別の研究では、沖縄からブラジルに移民した集団の食生活を沖縄と比較しています。

全体的に、沖縄の住民はブラジルに移民した人たちよりも7倍以上の魚を消費し、また豆腐のような大豆製品をより多く食べています。

さらにブラジルに移民した人たちは沖縄の住民より34%も多くの肉を食しています。

研究者たちはブラジルの移民がより多くの肉を食べていただけでなく、沖縄よりも平均寿命が短いことを突き止めました。

おばーは、「豆腐やゴーヤやほうれん草が大好きさー。自分で育てることができるものはみんな好きさー」と話しています。

彼女は大根も栽培していて、毎日近くの畑で働き、自然に接することが大好きです。

彼女は1933年にサイパンで生まれ、北マリアナ諸島にあるロタという小さな島で育ちました。

大宜味村出身だった彼女の両親を手伝い、兄弟と一緒に近くの美しいビーチで遊んだことを覚えています。第二次世界大戦前、多くの沖縄県民は鉱山で働くためにロタに移住していました。

おばーはロタにまで達する戦争を鮮明に覚えていて、アメリカ軍機が爆撃する間、両親と一緒に防空壕に身を潜めていて、その時の空腹感もまた覚えていると話しています。

おばーは、「戦前は食べ物がなく、ロタではジャングルに育った果物を食べていたさー」と説明しました。

戦後、家族は大宜味村に帰郷し、彼女の両親は地元で様々な野菜やサツマイモを栽培するようになりました。

おばーは、「その当時は本当におなかが空いていて、イモが生長しきるのを待たずに掘り出して少し食べ、それをまた植えていました。当時はイモが大きく成長するのを待てなかったので、大きく成長することはありませんでした」と述べました。

彼女は穏やかに昔を振り返って笑顔を見せます。

ウィルコックス博士は具体的に大宜味村の人たちを研究していて、次のように述べています。

「大宜味の人たちはけしてストレスのない生活を送って来たわけではありません。戦争の恐ろしさを体験し、殆どの人たちが貧しく、生計を立てるために日々一生懸命に働いてきましたが、そんな中、心理的な回復力を発達させてきました」

ウィルコックス博士は、同じような回復力が沖縄県や大宜味村の人たちの長寿に役立っている要因だと述べています。

沖縄戦の影響は驚異的です。アメリカの公共の記事では10万人以上の沖縄県民が命を落としたと推定しています。日本軍は7万人以上、アメリカ軍は1万2千人以上の戦死者を記録しています。沖縄のほぼ全ての家族が戦争の影響を受け、島は崩壊しました。

おばーによると、戦後、「村や家族として生き残るため、何でもやったさー」と話しています。

おばーは10代後半、家族のためにコザ(現在の沖縄市)でメイドの仕事を見つけました。

ある日、彼女の母親と将来の姑になる女性が彼女を迎えにきました、そう結婚のため。彼女はだんな様になる人に一度も会ったことがありませんでした。

おばーは、「お見合い結婚は当時、一般的だったさー」と述べました。

彼女は1950年、18歳の時に山城カクセイという男性と結婚し、それか60年間一緒に生活し、大宜味村で5人の子どもを育てることになります。

彼女の夫は2013年に亡くなりましたが、死ぬまでみんなは彼を”おじー”と親しみを込めて呼んでいました。

おばーと彼女の家族は1950年から同じ敷地に住んでいますが、その間3度家を新築しました。

彼女によると、「最初の家は50年代に台風で吹き飛ばされ、次の家は国道58号線の拡張工事で移転を余儀なくされた」と説明しました。

そして3年前に最後の新築が完成しました。

おばーは、「新しい家を子どもたちに残すことができるので、嬉しいです」と話しています。

彼女は結婚した後の長年に渡る苦労話を振り返ります。

おばーは、「最初の家が壊れたとき、お金を稼ぐためにまた前の家族の下でメイドとして働くためにコザに戻りました」と話しました。

彼女は部屋に戻ってきた2歳になる孫息子に目を向け、視線を止めます。孫が笑顔で手を差し伸べると、おばーはそれを握り返し、背中をそっとさすり、次のように話しました。

「家族が全てです。家族のために朝起きて、家族のために働きます」

沖縄の人たちは多くの場合、日々目を覚ますための目的について語ります。それは「いきがい」で、おばーは多くの大宜味村の住民がこの言葉に賛同すると考えています。

2010年のアメリカの報道番組で、ちょうどおばーのような大宜味の人たちの暮らしにスポットを当てていました。

彼らの長寿について尋ねたところ、村人たちはおばーと同じような生活の知恵について語っていました。記者は村の共同意識と楽観的な生活を高く評価していました。

おばーとおじーの最初の子は50年代に生まれ、家族を養うために穀物を農作していました。おじーは生活費を稼ぐために50年代当初、金属くずを収集していて、海でたこやかきを捕る名人にもなりました。

おばーは、「とても大変でしたが、お互いがいました。頑張る理由は子どもたちで、どうにかなりますよ」と話しています。

おばーの家族は1960年代半ばには、5人の子どもを含むまでに成長していました。おじーが毎日素潜りで捕まえてきた魚が食卓に並び、おばーは余った魚で小さな商売を始めました。学校に行くようになった子どもたちも農作業を手伝うようになっていました。

おばーは、「私たちはとても一生懸命に働き、満足していましたし、時には近所の手伝いもしました」と述べました。

後に近くの山の土地を購入するのに十分なお金を貯めることができ、みかん畑を始めました。

70年代半ばには、おじーは地元ではちょっとした漁師になっていて、たこ漁のための自身の技をあみ出していました。おじーは素潜りでモリを使い、84歳で亡くなる日までゴーグルと足ひれを離すことがありませんでした。

おばーは目を輝かせて昔を振り返ります。大きくなった子どもたちが彼女の周りを走り回り、大きな声で笑いながらお互いを追いかけます。

彼女は、「人生で最も重要なことは、一生懸命働き、正直で多くのことを許すことです」と話しています。

彼女の知恵は奥深く、シンプルで苦労して得たものです。彼女の苦労はその深いしわとなって彼女の顔と暖かい手に刻まれ、彼女の目は優しさと愛で満ち溢れています。

小さな2歳の男の子がおばーのもとに戻ってきて、裾を引っ張ります。するとおばーはその子を抱きかかえ、おなかが空いたのかいと聞きます。男の子が「うん」とうなずくと、おばーは傍にあるお菓子入れからちいさなおやつを手渡します。

彼女の村に退職という言葉があるかと尋ねてみると、「いいえ、私たちにそのような言葉はないしその言葉の意味も理解していない。一生懸命働き、家族と隣人の世話を見るだけで十分。それが人生です」と彼女は静かに説明しました。

国勢調査の資料は村の人口が徐々に減少しているのを示しています。2009年のユネスコは、沖縄の方言、うちなーぐち、が絶滅危惧言語として指定しました。

おばーの将来の希望は簡単です。

「孫が育つのが見たいが、家族の負担になることだけは避けたい。病気になり入院するのなら、願わくば、天国にさっさと旅立ちたい」と締めくくりました。

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