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ニュース (6月24日)

亡き祖父の面影を訪ねて沖縄へ

今は亡き祖父の記念碑に花束を手向けるアメリカから出席した孫娘のクリスティンさん
今は亡き祖父の記念碑に花束を手向けるアメリカから出席した孫娘のクリスティンさん
【沖縄県うるま市】戦後70回目を数える暑い夏が、また今年もやって来ました。

日本の終戦記念日は8月15日となっていますが、沖縄にとっての終戦記念日は6月23日です。

沖縄戦終結から70年の節目となる「慰霊の日」を迎え、沖縄県糸満市にある平和祈念公園では、安倍総理やケネディー米駐日大使も参列し、約5400人が出席した「沖縄全戦没者追悼式」が執り行われました。

時を同じくして、うるま市浜比嘉島にある慰霊碑の前には10数名の島の住民が集まり、手を合わせて祈りを捧げました。

慰霊碑には沖縄の地上戦で亡くなった島民の名前が一人ひとり刻まれています。

慰霊碑の前に集まった人々の中にひとりのアメリカ人女性の姿がありました。

彼女の名前はクリスティン・シェリー、1968年に沖縄で亡くなった海兵隊施設部隊司令官、カーミット・シェリー米海兵隊大佐の孫で、遠路はるばるアメリカからこの日のために沖縄を訪れていました。

クリスティンさんは、「浜比嘉島の慰霊の日に合わせてこの島に来ました。島のみなさんが島の慰霊碑の隣に祖父の記念碑を造ってくれ管理していると聞いて訪ねて来ました」と説明しています。

慰霊祭に出席したキャンプ・コートニー副司令官のレイ・ウェルチ博士は、「このような特別な日に参加できる機会をいただき、みなさまに感謝します。いちゃりばちょーでー(沖縄の方言で、一度会ったら、皆兄弟の意味)で、これからもみなさまとの関係を続けていければ、光栄です」と参列者に挨拶しました。

クリスティンさんは、「家族を代表して、そして亡くなった祖父に代わりまして、みなさまに感謝します。毎年こういった慰霊祭に祖父を含んでいただき、ほんとうにありがとうございます」と感謝の言葉を述べました。

慰霊祭が終了すると数名の住人が慰霊碑近くにある飲食店に足を運び、当時の海兵隊員やシェリー司令官を回想して話してくれました。

何十年も慰霊碑の管理を行ってきている盛根良二さんがピカピカに磨いた記念碑
何十年も慰霊碑の管理を行ってきている盛根良二さんがピカピカに磨いた記念碑
戦後すぐに島と海兵隊とのつながりが始まり、海兵隊員は毎週土曜日、食料、木材やペンキを持って船で渡ってきて、民家を建てたり学校を修理したりして、日曜日の夕方に帰って行きました。

ドラム缶で風呂を沸かし、島民を入れたり、発電機を設置して島民の暮らしに電気を導入したり、当時、島には電話がなく、ある日ひとりの海兵隊員が電話線を持って泳いで向こう岸に渡り、電話線をつなげてくれた事もありました。こうして海兵隊と島民の交流は深まっていきました。

シェリー司令官や彼の部下たちは荒廃した島の復興に尽力し、教会、小中学校、公民館や貯水池の建設を支援しました。

この貯水池は現在も島の農業用灌漑用水として活躍しています。

島の住民たちは彼が亡くなった後、感謝を示すため、1968年に記念碑を建立し、毎年6月23日に慰霊祭を行ってきました。

慰霊碑の管理を何十年も行ってきている盛根良二さんは、「シェリー司令官はとても親切でした。何時間も掛けてシェリー司令官の記念碑のプレートを磨きました」と話しています。

最後にクリスティンさんは、「アメリカから遥か遠く離れた、多くのアメリカの人たちが名前さえ知らない小さな島に、おじいさんの記念碑があるなんて、信じられないくらい夢の様な話です。島の人たちがおじいさんを記憶に留めていて、私たち家族の名誉でもあり、嬉しくもあります。島の人たちに本当に感謝します」と話しています。

その他のリンク
気象庁による台風最新情報 台風最新情報
米軍が使用する台風コンディションコード TCCOR
在日米海兵隊によるトモダチ作戦 トモダチ作戦
このサイトは米国海兵隊の公式サイトです。                      Posted June 24, 2015