在日米軍司令官が命の恩人と再会
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ニュース (10月28日)

在日米軍司令官が命の恩人と再会

岩国基地で写真撮影に応じるオオキタ・フミオ准海尉(左端)、カモウチ・ユキヒロ一等海曹(左から二番目)、ジョン・ドーラン米空軍中将、タザキ・ノリアキ一等海曹(右端)
岩国基地で写真撮影に応じるオオキタ・フミオ准海尉(左端)、カモウチ・ユキヒロ一等海曹(左から二番目)、ジョン・ドーラン米空軍中将、タザキ・ノリアキ一等海曹(右端)
【山口県岩国基地】岩国基地を訪問中の在日米軍司令官、ジョン・ドーラン米空軍中将が、20年以上前に太平洋上を漂流中救助してくれた勇敢な海上自衛官との再会をはたしました。

ドーラン中将を待つ駐機場では、当時、救助に当たった3人の海上自衛官と第31航空群司令官の園田直紀海将補、第71航空隊長の立石和孝二等海佐も中将を出迎えてくれました。

1992年1月23日、東京の東、630海里(1,166km)沖でF-16戦闘機から緊急脱出し太平洋上を漂流するパイロットを捜索するため、海上自衛隊厚木航空基地(神奈川県)から第71航空隊のオオキタ・フミオ准海尉、カモウチ・ユキヒロ一等海曹、タザキ・ノリアキ一等海曹がUS-1A飛行艇で飛び立ちました。

オオキタ准海尉は、「当時、私は航空整備員で、このときが始めての救難任務でした。海上に着水するのも始めての体験でした。救助に向かっている間、何もトラブルがないようにと祈っていました。燃料が十分足りるかどうか心配していたのですが、救難場所までの距離や状況を考えると、30分の捜索が限度だと判りました。その時間内に遭難者を探し出し、救助できるかとても不安でした」と当時を振り返って話しました。

ドーラン中将は、当時、三沢航空基地(青森県)で基準査定副長官、フライト査定官、F-16操縦指導官として勤務していて、その日、「コロネット・ウエスト30」配備のためにフロリダ州のティンダル空軍基地へ向かって飛行しているとき、不意に下方からKC-135輸送機が衝突してきのでした。

ドーラン中将が操縦していたF-16は制御不能になり、すぐに太平洋へと墜落していきました。

ドーラン中将が約5時間漂流しているとき、海上自衛隊の救難飛行艇が現場に到着したのでした。

別れの挨拶を交わす園田直紀海将補と在日米軍司令官、ジョン・ドーラン米空軍中将
別れの挨拶を交わす園田直紀海将補と在日米軍司令官、ジョン・ドーラン米空軍中将
カモウチ一等海曹によると、「現場に到着して高度を下げ始めると、波が高く、非常に難しい状況だと分かりました。ですからすぐに救助しなければいけない状況だと感じました」と当時の状況を説明してくれました。

この時、命の危険を冒してドーラン中将を救助してくれたのは、当時、US−1Aのパイロットだった貴田英樹二等海佐とその乗組員でした。

2015年6月5日の在日米軍司令官就任式でドーラン中将は、「あの日、彼らは勇敢にも私を救助してくれました。あの時、貴田二等海佐とその乗務員の皆さんの勇敢な行為がなければ、私は今こうして皆様の前に立っていないでしょう」と述べました。

ドーラン中将は3人の海上自衛官とともに当時のことを回顧し、命を救ってくれたことへ心からの感謝を述べました。

ドーラン中将は駐機場を離れる前、命の恩人である3人と固い握手を交わし、あの時に救助してくれたこと、また、現在も救助活動を続けていることへの感謝の印としてチャレンジコイン(隊員の士気などを向上させるために部隊司令官などから手渡される名誉あるコイン)を手渡しました。

オオキタ准海尉は、「あの時の遭難者に再会できたことは素晴らしいことです。救助したときのことは今でもよく覚えています。こうして元気な姿で再会できたことは、大変嬉しく思います」と述べました。

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在日米海兵隊によるトモダチ作戦 トモダチ作戦
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