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ニュース (4月13日)

72年ぶりに沖縄を訪れたベテラン

普天間基地を訪れてオスプレイの説明を聞く太平洋戦争ベテランのドナルドさん
普天間基地を訪れてオスプレイの説明を聞く太平洋戦争ベテランのドナルドさん
【米海兵隊キャンプ・フォスター】1945年4月6日15:30、米海軍駆逐艦カルホーンはカミカゼ攻撃を受けた駆逐艦ブッシュからの救助要請を受信しました。

ただちに遭難現場に向かい航行していると、今度はカルホーン自体がカミカゼ攻撃を受けて沈没しました。

海軍のベテラン水兵だったドナルド・アーウィンさんは生き残りましたが、その日、沖縄の沖合いで34人もの同僚を失いました。

そして沈没から72年の歳月が流れ、彼は沖縄に戻ってきました。

93歳を迎えたカリフォルニア州に住むドナルドさんは「自分に問いかけたんだよ。人生でのやることリストを持つには年を年過ぎたかなって。でも沖縄にはいつかきっと戻りたいと思っていたんだ」と話してくれました。

犠牲なった34人の同僚のため、東シナ海を一望できる沖縄県読谷村の渡久地ビーチから花輪を捧げることで、彼の旅は幕を閉じようとしています。

渡久地ビーチは1945年4月1日、侵攻してきたアメリカ軍が初めて沖縄に上陸した場所です。

ドナルドさんと妻のジュネーヴさんは2週間の滞在中、旧日本海軍司令部壕を訪ねたり、さらには現役の海兵隊員や海軍兵らに会い、自らの体験を語り伝えました。

彼の話を聞くことは、まるで教科書に載っている太平洋戦争の歴史を聞いているようでした。

ドナルドさんは日本軍の真珠湾奇襲攻撃の際、間近で爆音を聞き、その後、ミッドウェイ海戦からマーシャル諸島やソロモン諸島の侵攻、日本本土へのドーリットル空襲にも従事しました。

ドナルドさんは太平洋戦争の開戦から終戦まで、常に太平洋のどこかで戦っていまいた。

航空団通信士のダコタ・フォード伍長は、ドナルドさんの話を謙遜な思いで聞いていたと次のように述べました。

「時として私たちは蒸し暑い場所で作業することに不平を言ったりすることがあります。しかしドナルドさんは、実際に戦場で戦い、自分のすぐそばで同僚が死んでいくような体験をしているのです。過酷な体験を生き抜いてきたことに深い敬意を示し、私の部下たちにも語り継いでいきたいです」

普天間基地を訪れた太平洋戦争ベテランのドナルドさんが隊員らと握手を交わす
普天間基地を訪れた太平洋戦争ベテランのドナルドさんが隊員らと握手を交わす
それからドナルド夫妻は普天間飛行場を訪ね、オスプレイを見学し、その配備について質問しました。

ドナルドさんは格納庫で2列に整列した隊員の間を歩き、200人を越える隊員たち一人ひとりと握手を交わし、感極まった表情を見せました。

ドナルドさんは「隊員たちが私に会うために整然と並んでいる様子に思わず心が動かされました。若い隊員たちがわざわざ会いに来てくれたんです」と感慨深げに話してくれました。

ドナルド夫妻は今回の旅が非常に有意義で歓迎すべきものだと話してくれました。

そしてドナルドさんが今回の旅で最も感動したのは、以前に訪れた沖縄とは比べ物にならないくらい発展した現在の沖縄の姿です。

ドナルドさんは「最後に沖縄にいた頃、周りは暗く、まだ戦争が続いていて、すべてが混沌としていました。72年の歳月を経て発展した沖縄の姿にはただ驚くばかりです」と現在の沖縄を目にして話しています。

ドナルドさんは沖縄を思い出にしましたが、沖縄に駐留する隊員たちもまた彼を思い出にしました。

彼は沖縄にいる隊員たちは有事の際に真っ先に駆けつける部隊だと言い「私が沖縄にいた時は最前線にいました。そして今、あなた方もまた戦いの先頭に立っているのです」と述べています。

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